バーチャルおりばーハウス

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しばらくサンフランシスコで修行してきます。

f:id:oliver0521:20220405175912j:plain 修行といっても現職のBlack Inc.はもちろん日本法人のままだし、現地に転職するわけでもないし(できないし)、なんなら開発環境はものすごく劣化した。 給料は日本から普通に円で振り込まれるだけだし、極論「サンフランシスコに旅行しにきただけ」と言われたらそれまでである。

しかも高校2年から10年ほど住んでいた北新宿にも別れを告げ、住民票も埼玉の実家に移した。 日本で使ってたモニターやPCはほぼ全部売ったし、もちろん親にも反対された。

挙句の果てに私が10年住んでた家には15年分の家族全員のものが散乱しており、引っ越しにはフルで1ヶ月を要した。そして家も売却した。 おまけに渡米の1週間前くらいにNFT関連のサービスリリースをした影響もあって英語の勉強も全くできず、荷物も適当。回線やお金周りも何も準備できずに現地へGO。

今思えば、とにかく北新宿は何をするにも最強だった。家の前にスギ薬局、徒歩5分圏内にコンビニは5個、松屋すき家CoCo壱富士そば、ガスト、やよい軒日高屋、から好し。 新宿駅まで10分あれば着くし、映画館も4つくらいある。バルト9でのエヴァ深夜上映も徒歩で余裕だった。 新宿で終電逃してもタクシーでワンメーターだし、ラーメン二郎も2店舗ある。電子機器が欲しくなっても、もはやAmazonは必要なく、Door to Doorでビックカメラヨドバシカメラビックロまで15分もあれば着く。

そんな最強の生活を捨て、家族からの反対を全て跳ね除けてまでサンフランシスコにやってきたのだが、なぜそこまでしているのか。 正直なところ、私に明確なロジックがあるわけではない。 なんならリモートワーク前提の時代なので現地の人とZoomとかMeet、Teamsとかで話せるし、ソフトウェアエンジニアとしては日本からでも全然戦える。 海外のエンジニアともOSSなどを通じてコミュニケーションを取ることも十分に可能だ。

じゃあなぜサンフランシスコなのか。 どうしてコンフォートゾーンを抜け出してまでサンフランシスコにやってきたのか。 それをみんなに伝えたいのと、そして未来の自分へ伝えようと思う。

弊社シャッチョの記事はこちら↓ note.com

まずは私の自己紹介を軽くしておくと、Black Inc.でソフトウェアエンジニアをしている。(近々取締役になる予定) twitter.com

フルコミットメンバーは私と社長の2人で業務委託は数人いてほぼエンジニアだ。

これまで会社としては、OOPartsというビジュアルノベル特化のクラウドゲーミングサービスやNFT Gatewayをリリースしてきた。 今回サンフランシスコで開発するサービスはそれらとは全く違うサービスである。

端的にいうと、この新サービスをグローバル前提のtoC向けでリリースするためにサンフランシスコにやってきた。

「うん。それ日本からでもそれできるよね?」
「社長が現地の調査や短期のミーティングのためにサンフランシスコに行くのなら100歩譲って分かるが、お前がサンフランシスコに行く理由は分からない」
など、ツッコミを入れたくなるだろう。大丈夫。俺も十二分に理解している。

ちょっと話が逸れるが、2021年の夏頃からBlack Inc.が次どうやって進んでいくのかが不透明な中、そんな不安を紛らわせるため私はウマ娘に没頭する日々を送っていた。 気づいたらウマ娘界隈でかなり有名なサークルのリーダーになっていたし、関連ツールもめっちゃ開発した。 コミケで「きたちゃんぶっく!」を頒布したし、YouTuberにもなってた。 kitachan.black book.kitachan.black

そんな日々をしばらく送っていた中、ふと「俺はエンジニアとしてこのままでいいのか?転職した方がいいのか?」を真剣に考えてた時期もあった。 スタートアップ企業のエンジニアは基本的に孤独だ(と思っている)。 フルコミットのエンジニアが1人だとまともなレビュー文化なんてものはほぼないし、勉強会に参加する時間もあまりない。 先輩エンジニアも近くにいないので、分からないことがあっても基本は気合いで乗り切るしかない。 どうにかして外部とのつながりを維持しようと思ったがコロナの影響でオンライン前提となり、孤独感がより増した。

当時これじゃまずいと思い、PWA Night ConfereneceやCEDECにCFPを投げ登壇したが、そこから色々な人と繋がれたか?と振り返ってみると懐疑的ではあった。 conf2021.pwanight.jp note.com

去年の中頃にうたもくに誘われてyoukiというrustで書かれたコンテナ関連のOSSに関わっていた時期があったが、結局これが一番良かったかもしれない。

そんなこんなで2021年の秋、シャッチョと2人で急遽福岡合宿を決行することとなった。 そこでOOPartsに関する新しい企画と今回サンフランシスコに行くきっかけになった新サービスの企画を思いついた。 奇しくも「きたちゃんぶっく!」でのデータやり取りに不満があったことをシャッチョと掘り下げていった結果、新サービスを思いついたのである。

そこから私はアルファ版の開発、シャッチョはネーミング決めたり、仕様決めたりしていた。 渋谷にあった旧オフィスが懐かしい。そこは半年でなくなり、一旦仮のオフィスは北新宿の私の家になっていた。 一人暮らしなのにホワイトボードとめっちゃいい椅子が3台。長机が2つ置かれていて完全にオーバースペックだったが。

そこから機会があってミクシィのシェアオフィス2席を間借りし、アルファ版を二人でガッツリと開発をした。 そしてアルファ版が完成し、シャッチョがそれを「起業家の先輩との会食で見せてくる!」と意気込んだ次の日。突然こう言われた。

シャッチョ「突然なんだけどさ、このプロダクト本気でやるために、一緒にアメリカ行かない?」
ワイ「うん。じゃあ、行こうか。」

即答だった。 おそらく私がどうこう言ってもシャッチョは覚悟は決まってただろうし、それこそ先輩起業家とディスカッションした上での結論だとすぐ悟ったので、特に質問せず即答した。

(その先輩起業家の一人は私の前職のメンターでもあったTomoaki Saitoさんだったので信頼していたというのもあった。)

けど、私だけ日本に残って開発をするという作戦も取れただろう。だが、私はあの時即答した。 それがスタートアップだからだと無意識で感じていたから。

本来なら、色々なことが頭をよぎるだろう。 まず、リモートワークでオフィスがなく家で開発することが多い状況下でその環境を捨ててまで渡米する必要はあるのか。 食生活はどうなるのか。椅子で腰が痛くならないのか。モニターは調達できるのか。などなど。 エンジニアは開発の周辺環境に投資する傾向があり、私も例外ではない。

だが、スタートアップはそんな生半可なものじゃない。 俺は何のためにスタートアップに来たんだ。改めてそれを考えたときに答えは明白だった。

「あのサンフランシスコで開発がしたかった」とか「グローバルな人材になるためにアメリカでチャレンジするぞ!」とかでは決してない。

「スタートアップで弱小である俺ら」が持ちうる最大の武器である”勢い”で、最大の「レバレッジを効かせる」ために渡米するのだと。

スタートアップは気持ちがとても重要だ。とにかくメンタル勝負なところがある。コンフォートゾーンの欠片もない。油断したら会社は潰れる。 そんな状況下で、シャッチョの決死の覚悟に対して、「エンジニアだから日本から開発すりゃどうにかなるやろ」とは言えない。 新サービスは絶対グローバルで行きたいって思ってるし、そうなってくると海外の文化に直接触れることは開発側からも色々な視点が見えてくるだろう。(と思っている)

スタートアップであるからこそ、即決するのだ。細かい障害は後から取り除けばいい。行かない理由付けや御託はいらない。たとえダメだったとしても、無駄だったとしても、スタートアップは行動してなんぼだ、と思っている。

だからサンフランシスコにきた。初めはエンジニアなんだからもっとロジカルな説明をしようと思ったが、今の俺には無理だ。 だし、今この記事を書いているのはサンフランシスコからであり、もう渡米している。後戻りはできない。 実際、既に5日ほど経つが色々と辛い。治安悪いところが近いし、発砲音らしき音も聞こえる。街の匂いも最悪なところに位置している。 俺の英語も全然通じないし、そもそも聞き取れねぇ。サンダルも忘れたし、アメリカではろくに銀行口座も開設できねぇし、クレカも作れねぇ。挙げ句の果てに円安だし。

だがやるしかない。俺、頑張れ。